
AIによって、個人の表現や活動の幅は一気に広がりました。
文章生成、画像生成、動画生成──これまで時間やスキルが必要だったことが、今では数分で形になる。
SNSでもAI作品をよく見かけるようになり、「AIを使えば個人でもクリエイターになれる」と言っても大げさではありません。
それでも、AIを使うことに対して強い抵抗を示す人は少なくありません。
いわゆる“反AI派”です。
彼らの主張を見ていると、単なる感情論ではなく、いくつかの共通点が見えてきます。
なぜAIに反発が起きるのか
AIを使うことへの不満の多くは、次の2点に集約されると思います。
制作過程が不透明であること
AI生成の裏側はブラックボックスで、「どんなデータが使われているのか」「ちゃんと正当な手順で作られているのか」が見えづらい。 その結果、見る側は「この作品、本当に大丈夫なの?」という不信感を持ちやすい。
“苦労していない”ことへの不快感
AIを使うことで、従来必要だった努力や修行のプロセスを飛ばせてしまう。 その“近道”を不公平だと感じる人もいます。 いわば、「みんなが苦労して登ってきた山に、いきなりロープウェイで登ってきた人」が現れたようなものです。
この2つが、AIに対する“モヤモヤ”の根っこなんだろうなと思います。
似ているのは「ゲーム実況」の黎明期
個人的には、この流れはゲーム実況の初期ブームに似ていると感じています。
当時、ゲーム実況でお金を稼ぐ人が出てきた頃、世間からは「娯楽で遊んでいるだけで稼ぐなんてずるい」と言われていました。
さらに、ゲーム会社側もまだガイドラインを整備しておらず、「著作権的にどうなのか」「倫理的にOKなのか」といった議論が盛んに行われていました。
でも、いまではどうでしょう。
ゲーム実況はすっかり日常的なコンテンツになり、配信者が収益を得るのも当たり前。
「実況はずるい」と言う人なんて、もうほとんどいません。
むしろ、ゲーム会社が公式に実況を歓迎する時代になりました。
AIを使った創作も、今はまさにその“黎明期”だと思います。
AIはまだ「生活に馴染んでいない」だけ
AIを使うことが特別に見えるのは、まだ社会がその存在に慣れていないから。
それだけの話です。
今はAIツールが新しすぎて、「AIを使う=ズルをしている」と見られがちですが、
数年もすれば「AIを使っていない方が非効率」という時代になるのは間違いありません。
実際、個人でお金を稼ごうとするなら、AIを使わない手はないと思います。
動画、文章、イラスト、音声──AIはもう“代わりにやってくれる道具”の域を超えて、“仕事の相棒”になりつつある。
使うか使わないかではなく、「どう使うか」を考えるフェーズに来ているんだと思います。
僕はAIを使っていく
AIに対して風当たりが強いのは理解できます。
でも、僕はAIを使っていくつもりです。
便利で、効率的で、そして何より“個人が挑戦できる幅”を広げてくれるから。
世の中が新しいものを受け入れるには時間がかかります。
けれど、時間が経てば必ず「使うのが普通」になります。
ゲーム実況がそうだったように、AIもきっとそうなるでしょう。
だから、僕はこの波に乗ります。
乗るしかない、このビッグウェーブに。
