
正直に言うと、完敗しました。
AIに、です。
ブログを書くのが好きで続けてきましたが、いまやAIが数分で「ちゃんとした文」を出してくれる時代になりました。
自分で一生懸命ひねり出していた文章を、AIは80点ぐらいのクオリティで、ポンポンと吐き出してしまう。
その現実を目の当たりにして、「もうこれは勝てないな」と思ったんです。
AIが文章を書く時代に
AIがここまで文章を整えるのが上手くなると、「文章を書く時間がない人」や「文章にそこまで重きを置いていない人」にとっては、AIに書かせるのが最適解になってしまいます。
手間もかからないし、誤字脱字も少ない。内容もそこそこ読める。
要するに、実用としては十分なんです。
僕自身も、記事を読むときに「この人のありのままの言葉が読みたい」と思うことはほとんどありません。
むしろ読みやすく整理されていて、内容がわかりやすければそれでいい。
そう考えると、AIが書く文章はむしろ理想的なのかもしれません。
文章に“気持ち”は必要なのか?
よく、「AIには気持ちがこもっていない」と言われます。
でも、じゃあ人間が書いた文章には本当に気持ちがこもっているのか? と問われると、だいぶ怪しい気がします。
僕自身、かつては「心を込めて書く」とか「自分の言葉で伝える」とか言っていましたが、今思えばその多くは“それっぽい雰囲気”を出していただけだったかもしれません。
気持ちというのは書いている本人にしかわからないし、読む側からすれば、文体よりも内容の方が大事。
つまり、伝わるかどうかは“熱量”よりも“整理”の問題なのかもしれません。
書く理由が変わってきた
そんなことを考えるうちに、僕の中で「文章を書く目的」が変わってきました。
これからは、人に読んでもらうためというより、自分のために書くようになる気がします。
たとえば、覚えておきたいことを整理したり、頭の中をスッキリさせるために書いたり。
書くこと自体が“考える行為”であり、メモや整理の延長線上にあるような感じです。
だから、これからのブログは、AIが書く部分と人が書く部分がうまく混ざっていくのが自然なんだと思います。
AIは文章の「形」を整えてくれるけど、経験や事実の「中身」は人間にしか出せない。
役割が分かれただけの話です。
この文章もAIが書いている
ちなみに、この文章もAIに書いてもらっています。
僕が話した内容(事実や考え)をもとに、AIが整えた形です。
「AIにブログを任せる」と聞くと抵抗を感じる人もいるかもしれませんが、実際にやってみるとかなり快適です。
むしろ、AIに下書きを整えてもらうことで、自分の考えがはっきり見えてくる瞬間もある。
最初のうちは“屈服”のつもりだったけれど、今では「共存」になりつつあります。
AIが作った文章を眺めながら、「自分はどんな考えをしたかったのか」を振り返る。
それこそが、今の時代の“書く”という行為なのかもしれません。
AIが文章を書く時代になっても、「自分の思考を整理するために書く」という行為自体はなくならない。
むしろ、余計な時間や労力を減らせるぶん、考えることに集中できるようになりました。
完敗したけど、悪くない負け方だと思っています。
